同憂同志の皆さん❗大変ご無沙汰です❗
反曰朝鮮テロリスト・チョンチャンハンによる靖国神社爆破テロ事件の裁判が去る22日第2回目の公判が開かれました❗ (ちなみに第三回は7月12日です)
吾輩は一回目も2回目も傍聴は叶いませんでしたが、冒頭陳述に於いて検事は「爆発音事件」と証言したという❗
又弁護人は被害者は無く物的被害も軽微であるとして靖国神社側と示談する意向を示したという❗
2回目の公判に於いてはテロリストの母親が情状証人として出廷し、「息子は本来そんな恐ろしい事をする人間では無く極めて大人しい性格だ」と証言したという❗
そして本人は特に思想的に反日反靖国という事はなく、単に目立ちたかっただけだと陳述したとという❗
凡そ犯人やそれを弁護する弁護人が少しでも刑を軽くしようとして事件を矮小化したり、本心を偽る事は刑事裁判の常であるが検事までが之に歩調を合せようとしている様に思えてならぬ❗
「爆発音事件」という事は、喩えて言えば花火を打ち上げた際に不手際によって物を壊してしまったと言う程度の認識に他ならぬ❗
言うまでもなくこの度の事件は確信犯としての政治テロであり不特定多数の無辜の日本国民を標的にした無差別殺人テロに他ならない❗
結果的には犯人の稚拙なる計画が幸いし、それ以上に英霊の御加護に依って日本国民の犠牲者は皆無で済んだけれども一歩間違えれば昭和の御代に国民を震撼させた反日極左過激派に依る連続企業爆破事件の悪夢を呼び覚ます様な地獄絵図が現出されていた可能性もある悪質卑劣な犯行である❗
検事や裁判官の我等右翼義挙に対する常套句を仮りれば「言論を暴力で封殺しようとする悪質極まる犯行であって民主主義の破壊であり如何なる理由があろうとも断じて許されない」と言う事になる❗
因みに行動形態に於いて類似の右翼義挙が過去にある❗
「檜町公園爆裂義挙」である❗
時は昭和61年の天長節。先帝陛下の御在位60年奉祝式典と東京サミット爆砕を叫び皇居や迎賓館に対しロケット弾テロを繰り返していた反日極左過激派が当日檜町公園で集会を催した。この国賊共を公園もろとも爆殺してしまえ❗と、岡崎一郎氏(当時國粹青年隊総本部事務局長兼行動隊長補在36歳)中村忠志大兄(当時國粹青年隊栃木県本部長25歳)の両名が公園のトイレに時限爆弾を仕掛けた事件である❗(参照:昭和勤皇党事件とも言うらしい)
然るに不幸にして無念なるかな。爆弾セット中に誤爆して中村忠志大兄は両眼失明の上両手首断裂の壮烈なる負傷を負い所期の目的を果たし得ず無念の涙を呑んで獄に下っている❗
岡崎氏6年、中村大兄3年の懲役である❗
当時のマスコミも勿論検事も「爆発音事件」などとは言っていない❗
「法治国家を揺るがす凶悪なるテロである」「民主主義の破壊者である」と当時断罪されたのだ❗
一方で当時の検察官憲は皇居にロケット弾を打ち込んだ中核派も迎賓館に金属弾を飛した革労協も米国大使館を狙った戦旗も誰一人今日まで逮捕し得ていない❗
断っておくが、この檜町公園爆裂義挙は無辜の国民を標的にした無差別テロではない❗
何故かと言えば当日この檜町公園は反日極左過激派の貸し切りで機動隊が周囲を包囲して関係者以外の一般庶民並びに右翼関係者を一歩たりとも公園内に入れなかったからである❗
行動形態は同じであるけれどもその崇高なる精神と挺身決死の愛国心に於ては反日朝鮮テロリストとは雲泥の差である❗
若しこの檜町公園爆裂義挙が所期の戦果を挙げておれば激動の昭和史の最後を飾るに相応しい愛国義挙になっていたであろう事が悔やまれる❗
本来罪一等重い政治確信犯を愉快犯の刑事事件として矮小化し刑を軽くしようとする反日朝鮮テロリストと日本人でありながらこれを弁護しようとする左翼弁護士の浅ましさに反吐が出るわ❗
然も政治的圧力でもあるのだろうか?それに同調して爆破テロ事件を本来の訴因で起訴出来なかった検察の弱腰に腹が立つ❗
求刑如何に依っては将来に重大なる禍根を残す事になるであろう❗
檜町公園爆裂義挙が判例として適用されてこそ日本司法の面目躍如たるものがある❗
今日は日付けが変ってしまったが、6月23日 沖縄玉砕の日である❗郷土防衛に挺身散華された沖縄県民と第32軍将兵の忠霊に対し奉り我れも又挺身盡忠の誓いを新たにしで擱筆する❗
合掌低頭