平成4年の首相官邸事件より24年が経過した❗
時の自民党政権宮沢内閣は過去の日中歴史観の清算との名目で畏れ多くも今上陛下に対し奉り反曰国家中共への謝罪行幸を強要し奉った❗
所謂「天皇の謝罪訪中」である❗
有史未曽有の幕府的奸計奸策之に勝るもの無しと閣議爆砕を期して奸謀阻止の挙に出でしが、事志と違い幕府の牙城首相官邸の面前に独りまる焦げとなって5年の幽囚の身となる❗
決死滅賊を誓いて果さず、生きて虜囚の辱めを受くる事5年恥辱無念の思いは24年を経た今日尚胸奥にわだかまる❗
「日中歴史観の完全なる清算」と豪語した幕府的奸計は中共に対して「日本の中国侵略」と言う中共の言い分にお墨付きを与える結果にしかならなかった事は24年を経た今日に於ける中共赤支の対日姿勢に歴然として明らかである❗
平成9年の出獄から数えても既に20年近い歳月が流れた。齢55歳もう若くはない❗ この間3人のガキにも恵まれて長女は既に18歳となり今ではいっぱしの活動家だわ(笑)
大楠公を見ならって一族勤皇を夢見て家庭を持ったが維持する事能わず昨夏遂に破局、死処を帝都に求めて出京するも奇縁なるかな新嘗祭当日の靖国神社に於て反曰朝鮮人に依る靖国神社爆破テロ事件の最中に在って新しき伴侶を得る❗
之正に英霊の思し召しと言はずして何と言えよう❗
吾等は乃木大将御夫妻を理想像として一致意気投合している❗
更なる僥倖は今春には長女が吾輩を慕って出京してきた事だ❗
元嫁からの離婚宣言も青天の霹靂であったが長女の出京宣言も又青天の霹靂であった❗
今は新たなる一族勤皇を夢見つつ七生滅賊の思いを更に強くする昨今である❗
子供等よ わが亡き後も ひたすらに 尽せ勤皇 世代を超えて
勤皇とは広義に於て「天業恢弘」「皇道宣布」であり狭義には「朝敵撃滅」「尊皇討奸」である❗
そして今日的には狭義の勤皇を実践せねばならぬ❗
昨年敗戦忌の上京がきっかけとなり9月1日に故郷を捨てて出京して以来、1年近くの月日が過ぎた❗際どい場面も多々あったが、辛うじて身は娑婆に在る(笑)
周りには冷や冷やさせ通しだが、リスクの無い運動など運動ではない❗
抑々今の若者がだらしなさすぎる。故に年寄りがリスクの高い動きをせねばならんのだなぁ❗
来春の弁当満期まで頑張ろうと思ってますが、同憂同志の皆さん万が一の時は宜しくお願いします❗
本日24年の余生を振り返って思い尽きる事ありませんが今日はこの辺りで失礼します❗
久々の更新になりました❗
同憂同志各位の益々の奮闘及び武運長久を祈念致します❗