左側の名刺が旧名刺
右側の名刺が新名刺
同憂同志の皆さん、大変ご無沙汰しております。
今年も残すところ2週間ばかりとなってまいりました。
我輩も、一市民運動家となってより40数日が経ちました。右翼団体代表から一市民運動家となった感想を申しますと、「本当に気楽だわぁ」の一言に尽きます。
その気楽さに任せて、勝手気ままに運動を楽しんでおります。
過去にも、一時期一市民運動家として活動していた時期があります。それは、前橋刑務所を出獄し、愛國播磨雄會を結成するまでの5年程の間です。しかし、同じ市民運動家といっても、この30代の時分と50代の今では、行動力が格段に違うことを実感しております。やはり、歳には勝てないねぇ。30代の頃は、当局をして「桂田智司一人は街宣車20台に相当する」と言わしめておりましたが、50歳の今となってはそれも過去の話。当局は安全パイとして胸を撫で下ろしている事でしょう。
それでは、一市民運動家「播州浪人 桂田智司」のこの40数日間の活動記録を写真でご紹介致しましょう。
写真左から10.・28反韓デー 大阪韓領前 11・3明治節姫路駅前 12・8大詔奉戴日姫路駅前 11・23新嘗祭自宅神前 11・9真木同志出獄京都刑務所前
その他にも、在特(チーム関西)の運動に参加したものもありますが、こちらはニコニコ動画で配信されておりますので、興味ある方はご覧下さい。
因みに、この10月・11月と連続して下獄同志の戦線復帰が相次いだ。
10月2日には、大阪の中国領事館に大型街宣車突入し、放火して「暴支膺懲」の義挙を果たし、7年の懲役を余儀なくされた皇民党誠嵐會行動隊長中釜同志。
11月9日には、仏教界の反靖国の牙城であった浄土真宗西本願寺焼き討ち義挙を企て、懲役6年を余儀なくされた日本民族行動会議行動隊長真木同志が戦線復帰を果たしたのである。
両同志の戦線復帰は、我等民族派陣営にとって正に百万の援軍を得たに等しい。ご両人とも、まずはゆっくりと懲役の垢を落として下さい。本当にお疲れ様でした。
中釜同志の義挙は、暴戻支那をして日本軍の再来を想起し、心胆を寒がらしめたであろし、真木同志の義挙によって反日反靖国勢力は駆逐され、西本願寺は正常化されたと聞く。
「一発の銃声は十万の動員に勝る」とは、正にこの事である。百の正論より一つの行動こそが、国を救う唯一の道なのである。行動なき正論は無力に等しい。若人よ、後に続け!
直接行動は若人の特権である。時局は混沌として、国賊売国奴は朝野に溢れている。直接行動は、歳をとってからでは出来ない。老いて為さざりしを悔やむより、為せし行為を悔やめ!
若人の悪名をものともせぬ激情捨て身の直接行動の積み重ねの上に、今日の日本が存在するのだ!
未確認の情報ではあるが、石川県護国神社の境内に於いて、12月8日、大詔奉戴日に20歳代の青年が割腹自決を遂げたという。自決の主旨は明らかではないが、その日時からしてこの青年烈士の念いは、推して知るべきであろう。
人知れず多くの愛国の士が、憂国義憤の行動に駆り立てられている。
当局はこれらの行動をひた隠しにし、反日マスコミ共は悉く黙殺するけれども、我等はその念いを共有し、各々の立場に於いて行動せねばならない。その念いと行動が、必ずや国を救うとの確信に基づいて。
今年もあと僅か。愛国の情熱と行動を来年に引き継ごう。そして必ずいつの日にか國體の真姿顕現を実現するのだ。
問い合わせ先
桂田 智司
電話番号:070-5040-7328
メールアドレス(携帯電話):harimaokai@dj.pdx.ne.jp
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