ご承知のように、畏くも天皇皇后両陛下におかせられましては阪神大震災追悼式典に臨御の為、兵庫県は神戸に行幸啓賜りました。
今年は震災より20年の節目の年でもあります。
吾輩は弁当持ちの穢れた身であります故、また諸般の事情もあり不本意ながら奉送迎は差し控えさせていただきました。
思い起こせば平成13年にも行幸啓を賜っております。
その折りは淡路島にも行幸啓賜り、吾輩も新婚ほやほやの新妻と乳呑児の長女と次女をベビーカーに乗せ、死ぬまでに一度は陛下を拝みたいというおふくろを連れて淡路島まで奉迎に行ったことを昨日の事の様に思い出します。
おふくろの如きは、両陛下がご休憩所から道路を挟んで向かいの震災記念館に玉歩をお運びになられた際、皇后陛下が奉迎の方々に握手を賜っておられたのでありますが、偶々最前列に並んでいてその栄誉に浴しておるのであります。
そのおかげでありましょう。どこが悪いのここが悪いのと言いながらも元気で暮らしております。
その頃まだ乳幼児だったガキどもが今では中高生だ。長男なんか、まだ生まれてなかったんだものなぁ。何だか歳月を感じるなぁ。
平成7年1月17日 この日吾輩は前橋刑務所の第4工場の懲役囚であった。
作業が始まった直後に担当に呼ばれ、「桂田 落ち着いて聴けよ!」と言われ これはまた両親のどちらかでも死んだのかな?と覚悟をきめたが、神戸で震度7の地震が発生したと言うのである。
震度7と言われても、実感としてよく解らん。なぁんだ そんなことかと平然と一日を終え、還房するやテレビ視聴の日でもないのに夕食後にテレビが点くのである。
映し出された映像に愕然として声も出なかったものだ。
各地の被害状況の速報がテロップで流れるが、姫路が出てこない。
担当に安否伺いの臨時発信をするように言われたが、被害速報に出てこないということは、姫路は大した被害ではないということだと断ったものだ。
それよりも「虜囚の身とは言え、同じ県民として義援金だけでも送りたい!」と申し出たところ、「そういう事は前例がないから、一旦現金を家族の元に託下げして家族から振り込んでもらえ!」というのである。
前例のない事態が発生しておるのに、当に官僚主義の権化の様な返答である。
すったもんだのやり取りの末、担当の口添えもあって今回に限りと言うことで特別許可がおりたのである。
当時吾輩は、敗戦直後の如き神戸の惨状に復興には10年位かかるだろう。出獄後遅まきながらでも何らかの復興奉仕をせにゃぁならんなぁ。と思いつつ、平成9年10月5年の満期で出獄した時、神戸の街が蘇っていたのには吃驚仰天した。
右でもない左でもない普通の庶民である年老いた会社の同僚が言っておった。
「自衛隊をすぐに出さんかったから、助かる者までがようけ死によった」と。
平和呆けしたアホの政治家や大臣・官僚を上に頂く時、一番不幸なのは一般庶民よのう。
帝國陸海軍には【独断専行】というのがあったが、自衛隊にも独断専行権を与えるべきだろうねぇ。
安全保障は戦争たると災害たるとを問わず、すべてに優先する問題だろう。
安全保障の確立無くして、経済繁栄も庶民の平穏も存在しないはずだ。
阪神大震災の教訓は、尊い犠牲の上に東北大震災に於いて幾分か活かされた。
何故幾分か?どちらも当時の政府が悪すぎた。
自衛隊に国軍の栄誉と権限の拡大を!統帥権の独立を!国家防衛だけが国防ではなく、国民防護もまた国防である。その時々の政府の都合や思惑に依って国民の生命に軽重があってはならぬ。
斯かる国防の完結した機能を備える自衛隊を法の鉄鎖で縛り付けるということは、主権を有する国民に対する反逆であろう。
天災より戦争の方が恐ろしい。何故ならば、戦争は我が国・国民の意思に拘わらず日本人を皆殺しにする確固たる目的を持って襲ってくるのだから。
阪神大震災20年に当たり、犠牲者のご冥福を祈りつつ
脈絡のないまま思い当たるままに綴りました。
合掌