昔昔のその昔、吾輩の村によう子ちゃんという女の子が居ったとさ。前橋刑務所を出獄して姫路に帰省し椎茸栽培をしていた頃の事だ。途中一年程福岡刑務所も務めたけども(笑)
家のお袋と少女のお母さんがお互い村の婦人会の関係で行き来してたのよ。
だからたまに家に来るんだな。当時15歳位だったっけ。だけど少女は友達が居ないんだ。といって根暗じゃなくてお目めのパッチリした明るい可愛い少女だった。
学校も行ってなかった。
生まれながらに心臓に穴があるとかの難病で3歳までは生きれないだろうと医者に言われてたらしい。
だから須磨の子供病院を入退院してたそうだ。所が年を重ねて15歳、医者がビックリする位生命力のある子供だった。
とある日、不良のガキを預かった。それが又牛じゃぁあるまいに鼻輪をつけて、頭は茶髪どころかピンクや緑のトサカ頭。一瞬にして村中で評判よっ❗
預けてきたのは今も気の合う同志の一人なんだけど
この同志も変り種だ。
だいたい右翼のくせにフランス人の嫁さんもらってるんだ!(笑)
末だによく分らんが夫婦揃ってロックミュジシャン
とやらで右翼の街宣車よりでかい騒音をかき鳴らす音楽をやってる。(笑)
まあそういう経緯もあってこのガキには毎日椎茸栽培を手伝わせていたが、よう子ちゃんも興味津々で最初は物めずらしそうに蔭から眺めていたのだが、だんだん慣れて気が合ったのか体調の好い日は毎日の様に来て、吾輩じゃぁなくて不良のガキを手伝う様になった。(笑)
この不良のガキ確か裕希とか言ったっけ。定期的に同志が開催するライブとやらに西宮まで手伝いに行ってたんだけど、仕舞によう子ちゃんまで行きたいと言い出した。
そこで裕希に「何か有ったらお前が命を懸けて護れよ!」と言ったらキッパリと「ハイ!分ってます」と事情を総て飲み込んだ上で15歳のガキが言い切りよった。チャライ見かけと裏腹に男気のあるガキだったわ。
そこで大変なのはお母さんだわ!
まぁだいたい週末とはいえ、夜中にお母さんが姫路と西宮を往復する事になった!
それからと言うもの気が付けば裕希の鼻輪がなくなっており、普通の茶髪に戻っていやがった!
よう子ちゃんも見る見る元気になって行ったとさ!
だけど吾輩が岡山刑務所事件で懲役に行ってしまったので、裕希も親族の元に引き取れて行った。
そしてよう子ちゃんの初恋も終ってしまったけれどね。
えっ、「お前が原因か!」「お前がぶち懐したのか!」
面目次第も御座いません!
その後吾輩が福岡刑務所を出た頃は更に元気になって知り合いのスナックだかクラブだかに出ていたわ。併し、出ていたと言っても出勤していた訳じゃぁなくて体調の良い時に気分転換がてらに手伝っていたんだけどね。
ある時、公調が「飲みに行こう!」としつこく誘うので、「それでは俺の知ってる店なら行ってやってるよ!」と嫁子供弟夫婦総出で店で一番高い酒を3本位飲み干して豪遊した事がある。
勿論勘定は公調持ちでな。(笑)
そんな彼女も医者の余命宣告のままに、若くして旅立ってしまった!
併し彼女の人生は闘病の苦しさは在ったにせよ他人が思う程に寂しい人生ではなかったはずだ。
生死の長短は問題ではない!
人言はば言え❗
己の信念に従って頑固一徹に生き抜く事が大切だ!一瞬一瞬一を大事にしてなぁ。
。
そき