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Channel: 桂田智司・右翼の寝言
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新年 あけましておめでとうございます

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皇紀2675年の新春を迎え、天皇弥栄を念じ謹んで祝賀申し上げます。
 
同憂同志の皆さん、昨年中は休眠中に拘わらず何かとお世話頂き、有難うございました。
今年も尚休眠の身ですが、戦後70年の節目に当たります故、少しは頑張ろうと思っております。
 
70年と言えば、日本陸軍の建軍より敗戦までの歳月と同じになります。
この間我が皇軍は、敗れたりとは云え世界戦史に燦然と輝く、赫赫たる武勲を残してきました。
そして、幾多の国難を乗り越え國體護持と皇運扶翼の聖使命を全うして燃え尽きたのでありました。
 
翻って戦後の70年はどうだ!
只管亡国の急坂を駆け下りるが如く、國體破壊と日本精神の解体に狂奔した年月ではなかったか?
 
併し亡国の淵にあって、辛うじて持ち堪えているのは、右翼と蔑まれ、軍国主義者と罵られ、時代錯誤と嘲られながらも身命を賭し、懲役を賭けた憂国義憤の義士たちの義挙があったればこそと確信するのである。
 
その義士の一人が天長節の前日、昨年の12月22日宮城刑務所を8年の刑を終えて出獄した。
そして天長節の佳き日に、奉祝参賀のあと全国の同憂同志相集って、護国の忠霊に戦線復帰のご報告の為靖国神社に昇殿参拝したのである。
 
その義士こそ誰あろう、大日本同胞社の堀米正廣氏74歳である。 
時に平成18年8月15日、売国奴たる媚中政治家・加藤紘一邸焼き討ち事件である。
氏は当時還暦を過ぎた65歳、「虜囚の辱めを受けんよりは」と現場に於いて割腹自決を為すも果たさず、事志と違い下獄幽囚の身となった。
求刑は12年 愛国の弁護士南出先生の祖國防衛権の主張が判決に反影して8年と予想以上に軽くなった。
因みに、故野村先生の河野邸焼き討ち事件の判決が懲役12年である。
 
併し歳をとってからの8年は、想像以上にきつかったであろう。
刑務所の事を監獄と言い「寒獄」とも書くが、暑さより寒さの方がこたえる。歳をとれば娑婆に居ても寒さがこたえるのに、老身には将に「寒獄」である。
 
直接行動は若人の特権である。明治維新然り昭和維新然り!年寄りに先を越されて若人の面目やどこにある。
正論だけで維新はならぬ。若人の熱烈なる愛国の直接行動の積み重ねの上にこそ尊皇維新は成就するのである。
 
市民運動たると右翼たるとを問わず、直接行動を非難する者は皆無に近い。
そして事件が起こればこれを讃え賛同するが、後に続かんとする者のなんと少ないことか。
時代の変化かも知れぬが、吾輩の若い頃に比べて理論がしっかりしていて演説の達者な若人が増えた。その分行動がおろそかになっている様に感じるのは、吾輩だけであろうか。
 
行動とは、街頭における官憲や左翼との小競り合いだけではない。「斬奸の剣」を振るうことであり、「天誅の銃弾」を放つことである。
 
堀米氏は、挨拶の中で「今後も増々運動に邁進云々」と言っておられたが、当年73歳の老身に鞭打って氏が邁進されねばならぬようでは、若人の恥である。
 
今年は戦後70年の節目でもあり、国賊・売国奴の跳梁跋扈が予想される。
 
若人よ 今こそ特権行使の秋なるぞ!
 
年頭に当たり,所感を兼ねて覚悟新たなり。
 
同憂同志の皆さん、今年も宜しくお願いします。
 
堀米正廣大人 老いてからの長期の懲役本当にお疲れ様でした。ゆっくり獄中の垢を落として下さい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
桂田智司 連絡先
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天皇皇后両陛下の兵庫県行幸啓

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ご承知のように、畏くも天皇皇后両陛下におかせられましては阪神大震災追悼式典に臨御の為、兵庫県は神戸に行幸啓賜りました。
 
今年は震災より20年の節目の年でもあります。
吾輩は弁当持ちの穢れた身であります故、また諸般の事情もあり不本意ながら奉送迎は差し控えさせていただきました。
 
思い起こせば平成13年にも行幸啓を賜っております。
その折りは淡路島にも行幸啓賜り、吾輩も新婚ほやほやの新妻と乳呑児の長女と次女をベビーカーに乗せ、死ぬまでに一度は陛下を拝みたいというおふくろを連れて淡路島まで奉迎に行ったことを昨日の事の様に思い出します。
おふくろの如きは、両陛下がご休憩所から道路を挟んで向かいの震災記念館に玉歩をお運びになられた際、皇后陛下が奉迎の方々に握手を賜っておられたのでありますが、偶々最前列に並んでいてその栄誉に浴しておるのであります。
 
そのおかげでありましょう。どこが悪いのここが悪いのと言いながらも元気で暮らしております。
その頃まだ乳幼児だったガキどもが今では中高生だ。長男なんか、まだ生まれてなかったんだものなぁ。何だか歳月を感じるなぁ。
 
平成7年1月17日 この日吾輩は前橋刑務所の第4工場の懲役囚であった。
作業が始まった直後に担当に呼ばれ、「桂田 落ち着いて聴けよ!」と言われ これはまた両親のどちらかでも死んだのかな?と覚悟をきめたが、神戸で震度7の地震が発生したと言うのである。
震度7と言われても、実感としてよく解らん。なぁんだ そんなことかと平然と一日を終え、還房するやテレビ視聴の日でもないのに夕食後にテレビが点くのである。
 
映し出された映像に愕然として声も出なかったものだ。
各地の被害状況の速報がテロップで流れるが、姫路が出てこない。
担当に安否伺いの臨時発信をするように言われたが、被害速報に出てこないということは、姫路は大した被害ではないということだと断ったものだ。
それよりも「虜囚の身とは言え、同じ県民として義援金だけでも送りたい!」と申し出たところ、「そういう事は前例がないから、一旦現金を家族の元に託下げして家族から振り込んでもらえ!」というのである。
前例のない事態が発生しておるのに、当に官僚主義の権化の様な返答である。
すったもんだのやり取りの末、担当の口添えもあって今回に限りと言うことで特別許可がおりたのである。
 
当時吾輩は、敗戦直後の如き神戸の惨状に復興には10年位かかるだろう。出獄後遅まきながらでも何らかの復興奉仕をせにゃぁならんなぁ。と思いつつ、平成9年10月5年の満期で出獄した時、神戸の街が蘇っていたのには吃驚仰天した。
 
右でもない左でもない普通の庶民である年老いた会社の同僚が言っておった。
「自衛隊をすぐに出さんかったから、助かる者までがようけ死によった」と。
平和呆けしたアホの政治家や大臣・官僚を上に頂く時、一番不幸なのは一般庶民よのう。
 
帝國陸海軍には【独断専行】というのがあったが、自衛隊にも独断専行権を与えるべきだろうねぇ。
安全保障は戦争たると災害たるとを問わず、すべてに優先する問題だろう。
安全保障の確立無くして、経済繁栄も庶民の平穏も存在しないはずだ。
 
阪神大震災の教訓は、尊い犠牲の上に東北大震災に於いて幾分か活かされた。
何故幾分か?どちらも当時の政府が悪すぎた。
 
自衛隊に国軍の栄誉と権限の拡大を!統帥権の独立を!国家防衛だけが国防ではなく、国民防護もまた国防である。その時々の政府の都合や思惑に依って国民の生命に軽重があってはならぬ。
 
斯かる国防の完結した機能を備える自衛隊を法の鉄鎖で縛り付けるということは、主権を有する国民に対する反逆であろう。
 
天災より戦争の方が恐ろしい。何故ならば、戦争は我が国・国民の意思に拘わらず日本人を皆殺しにする確固たる目的を持って襲ってくるのだから。
 
阪神大震災20年に当たり、犠牲者のご冥福を祈りつつ
脈絡のないまま思い当たるままに綴りました。
 
                               合掌
 
 

イスラム国日本人人質事件に対する見解

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イスラム国による日本人人質事件も遂に人質処刑という結末を迎え幕を閉じた。
そして報道も漸く沈静化した今日この頃である。

事件最中、吾輩の見解を求める多くのメールをいただいていたが、簡単な思いしか返信出来ず言葉足らずで語弊があってもいけないので、此処に思いの詳細を述べておこう。

先ずイスラム国は日本の敵ではないし、日本もまたイスラム国の敵ではないということだ。

抑々今回の事件は、民間軍事会社の社長という湯川はるなという訳の解らぬ輩の奇妙な行動に端を発している。
考えてもみよ!紛争地帯に行ってイスラム国戦死将兵から銃をもぎ取って、その様子を戦利品よろしく動画で全世界に発信したりしておる訳だから、当然イスラム国将兵から憎悪敵視されるのは当たり前であって、加えてこ奴はイスラム国の敵側の軍と行動を共にしていて迷子になって捕虜になっているんだから、戦争当事者の一員な訳だ。
然も正規の軍人じゃぁないわけだから、スパイ扱いされても仕方ないことでスパイは国際法上でも捕虜の権利は受けられない。

凡そ紛争地帯に行って、その紛争を商売のネタにしようという発想からして間違っておる。
戦争は当事者間互いに大義名分があるもので、聖戦を叫んで命懸けで戦っているイスラム国側からしてみれば、湯川はるなの行動は聖戦を愚弄するものに見えたとしてもおかしくない。

斯かる輩を救出に行った何の公的背景も無い一ジャーナリストの後藤健二が湯川はるなの一味と思われても至極当然のことと言わねばなるまい。
まぁ言ってみれば何をやっても許されるというマスコミ・ジャーナリストの思い上がりが自らの生死を分ける結果になってしまったのでしょうなぁ。

湯川はるなに関しては、我が国政府が非公然に解放交渉をしておったにも拘わらず埒が開かなかったものを一ジャーナリストでどうにかなるはずもあるまい。
後藤健二の思い上がった行動に因って、人質が一人から二人に増えイスラム国側に有利な状況を与え、我が国政府を更に窮地に立たしめる結果を招いたのである。
たった二人のバカな日本人の馬鹿な行動の為に、我が国に「人質奪還成らず」という汚名を残す結果になったのみならず、全世界に日本の無力を曝け出し一億同胞をテロの標的にしてしまったのである。
死んだ人間に罪は問えぬが、外患誘致罪といつても過言ではあるまい。

この度この二人の行動がなくても、イスラム国が他の日本人を人質に取り我が国に身代金を要求したであろうか?また、「今後日本人は世界のどこに居てもテロの標的になる」などと言う様な宣言を発したであろうか?
どちらも否であろう。
日中・日韓関係にみられる強請りタカリに弱い日本の性格を見越してあわよくば身代金でもせしめてやれ。と利用されたんだろうねぇ。
向こうからしたらカモがネギ背負って来たようなもので、飛んで火に入る夏の虫というやつだわな。

余談になるが、今日は2・26事件記念日だなぁ。
【尊皇討奸】の精神を継承し、いつの日にか青年将校の悲願を達成せにゃぁならん。
國體護持は皇國臣民の聖使命よ。
テロは悪か?討つべき奸賊・売国奴が存在する限り必要悪だろうねぇ。只、テロはテロでも無差別は良くないが!
今日は雨の2月26日だなぁ。雪の2月26日に日本は変わる。


では、同憂同志の皆さんお達者で!






桂田智司 連絡先
       携帯電話 07050407328
       メール   harimaokai@dj.pdx.ne.jp
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 




県内限定復帰第一弾

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同憂同志の皆さん ご無沙汰しております

3年の弁当も漸く1年を消化しました。
そこで、2年後の完全復帰に向けての準備の一環として県内限定復帰ということで垂水の大日本神州党大川党首主催の神戸街宣に参加してまいりました。

県内はもちろんの事、遠くは三重・広島・四国等の県外からの参加も含めて60台近い街宣車が結集し、反日朝日新聞の糾弾と須磨海臨公園で催された朝鮮総連60年イベントに対する抗議街宣が展開されたのであります。同時に大丸前に於いて弁士10数名による4時間に亘るリレー演説も開催され、吾輩も2年ぶりで街宣車上にマイクを握らせてもらいました。

若い弁士が多く、彼らの理路整然とした憂国の至情あふるる或いは愛国の情熱たぎる演説に聞き入るうちに頼もしく感じると同時に胸奥に熱いものが込み上げてくるのを禁じ得ませんでした。

運動の詳細は大日本神州党のホームページの方でご覧ください。

話しは変わりますが吾輩、日本民族青年同盟兵庫県本部及び愛国播磨雄会を解散してより、時に播州浪人等名乗りながら宙ぶらりんな立場を続けて参りましたが、今後は日本民族青年同盟の三代目体制発足時公表されました立場「顧問兼総本部教務局長」にしっかりと軸足を置き、更には吾輩が名付親でもあります護國廓清隊の「相談役」としての立場をも併せて運動を展開して参る所存であります。
と申しましても、完全復帰までには2年の歳月があります。この度の復帰は兵庫県内限定版でありますので、その点ご容赦ください。

その間に日民同兵庫県本部並びに愛国播磨雄会を再興したいという希望もあります。
ボチボチではありますが、所期の目的に従って鋭意努力邁進いたしますので同憂同志のご支援ご協力をお願い申し上げる次第であります。

多くの旧友と会いまみえる事も出来たし、今日は久々に楽しい一日でした。
封印していた日民同の隊服も2年ぶりに着てみたが、サイズも変わっていない。

併し「弁当」とは重たいものよのうとつくづく思うわ(苦笑)

体制を護って国を滅ぼしてよいのか!
憲法を守って国を亡ぼしてよいのか!

戦後70年の日本の歩みは「遵法亡国」の途である。
何故かってか?笑止!現行憲法が亡国憲法なるが故よ。
されば、「破法救国」こそ真の愛国者の進むべき途ぞ!「憲法改正」は、國體破壊を目論む戦後体制擁護のまやかしに過ぎぬ。
亡国憲法を破棄せよ!亡国憲法秩序を破壊せよ!
そして國體護持の真憲法を制定し、その真憲法秩序を樹立することこそ、我等右翼の聖使命ぞ!

「破壊無くして建設無し」とは、五・一五事件の檄文も言う。・・・・・・・・・・・

思いはまだまだ尽きぬ。併しまだまだ動けぬ。
まぁ 今日はこの位にしておこう。

久々に大きな運動に出たから、気持ちが昂ぶってしまった。

本日運動に参加された同志の皆さん、お疲れ様でした。まだまだ本格的な動きは出来ませんが、また機会があればよろしくお願いします。



桂田智司 連絡先
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討匪行 宝塚に出撃!

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6月6日(晴) 宝塚出撃

この日、宝塚市立西公民館に於いて「売国奴・元朝日新聞記者 植村隆」の講演会が開催されるとの予てからの情報に基づき抗議行動を展開した。

統一行動ではないが、県内の団体が各自街宣許可をととって自然集結、更に大阪方面からの参加も得て総勢約10台、相互に連絡しあいながら時に集結し或いは散開して、会場及び宝塚駅周辺に各々のスタイルで街宣を展開した。
加えて保守系市民団体が、会場前に於いてサイレントパネル抗議を繰り広げた。

吾輩は0600出発し、国道176の山越えで0830頃市内に侵入したのであるが、地理不案内の為会場を探しあぐねて滋賀から遠征してきた誉田大兄と偶々出くわしたのをこれ幸いと、彼の先導によって漸く会場に辿り着けるという始末でした。(苦笑)

当初は黎明出撃して官憲の規制前に会場に乗り付けて、そのまま居座ってやろうと思ってたんだけど・・・・・。
結局、直近の規制線で車を乗り捨てて徒歩で会場へ向かった。
周辺立哨中の私服や機動隊が、無線を飛ばしていたが誰何されることもなく辿り着けたわ。
さて会場前はと言うと、2個小隊程の機動隊と私服官憲更には宝塚市の職員がウジャウジャ屯してをったが、すんなりと会場内へ入ることが出来た。

それもその筈、吾輩は作務衣姿で誰がどこから視ても右翼には見えなかったはずだもの。
事がトントン拍子に運んだので、このまま「この期に及んでの植村隆の言い訳を聴いてやれ」と受付の方に行って開演時間と入場料の確認をしてをると始めは普通に応対してた主催者側が、吾輩の後を追ってゾロゾロと近寄って来た官憲どもの様子で察したのだろうねぇ。
急に態度を豹変させて、「あんたらの言い分を聴きにきたのじゃ。」と言った吾輩の言葉尻を捉えて入場を拒否すると言い出したのである。 

そこで吾輩曰く 「ワシは従軍慰安婦問題に賛成・反対どちらでもないが、朝日新聞が誤報を認めて形だけにせよ謝罪したこの期に及んでこの記事を書いた張本人である植村隆がどんな言い訳をするのか、聴いてみたいと思うのは人の情じゃろうが」と。
すると相手は「本を買って読めばいい」などとぬかすではないか。

吾輩更に曰く 「講演案内には反対者お断り!などとは書いて無かったろうが。書いてありゃぁ始めから来やせんよ。こちらも金と時間を使って来とるのだから、入場お断わり本を読めと言うなら本を進呈してくれ」と。
これに対して相手は「自分で買え」と言う。

この当たりからだんだん怒りが込み上げてきて語調も荒く声も大きくなってきたんだけれど。(元々難聴で地声は大きい方なんだけどねぇ)
吾輩曰く 「限定講演じゃぁあるまい。一般講演じゃろう。ここまで来てまともな理由説明もなく、黙って帰れと言われても帰れるわけなかろうが、それなら始めからファン限定と書いとけ」
だいたいワシのどこがいかんのじゃぁ。別に右翼の格好して来とるわけでもなし、抗議に来とるわけでなし、普通の格好で、普通の人情として講演を聴いてみたいと言うとるだけやないかい。」と。

相手曰く 「あんたらの言い分を聴きに来た。と言うのが抗議になる」と。
そこで吾輩は「そういう誤解を与えたのなら謝る。飽く迄も植村隆の言い分を聴きに来たのだ。これが何の抗議になるんじゃぇ」と。

すると相手は「そういう事は混乱の原因になる」とか言い出すので、吾輩は「黙って大人しく聴くから入れろ。若し混乱を起こしたら、その時に放り出せばよかろうが、ファン限定じゃぁない一般講演なんだから。人を偏見で視るんじゃぁないよ」

その後「いれろ」「いれない」「帰れ」「帰らぬ」で押し問答となり、吾輩問うて曰く 「お前何者だ」と。相手答えて曰く 「支援のボランティアだ」と。

そこで吾輩は「ならば主催者を呼べ。主催者の判断は、また違うかも解らんだろうが」と。
対して相手は、吾輩の声が大きいのが既に抗議になるというではないか。
散々理不尽な訳の解らぬ応対で、こっちを怒らせておきなから。
挙句の果てには、「植村隆が命を狙われているという噂もあるから、混乱の元になる者は入れない」とまで言い出す始末である。

そこで吾輩曰く 「そんな危ない講演会なら、初めから但し書きすべきである。何となれば、何も知らないお年寄りや子供連れが来て巻き添えになればどうするんだ」と
そんなやり取りを、併設の図書館での休憩をはさみながら一時間ばかりも続けたのであるが、埒も開かないので主催者に取り次いでもらおうと館長を呼んだのだが、主催者側の弁護士とやらまで登場して施設管理権の行使とやらで退去命令を食らってしまった。
忌々しいがどうにもならぬわ。

その頃には、会場前で神州党の抗議演説も始まっており、市民団体も参集したをったので、暫し演説のマイクを握らせてもらった。

午後からは、遅まきながら隊服に着替え本来の抗議行動の一環として神州党主催の宝塚駅頭演説会に合流し、途中市民団体のサイレントパネルにも参加してその後情報意見交換を兼ねた休憩を挟みながら、1930頃まで抗議街宣を展開して2100頃帰還せり。

当日宝塚に参集された同憂同志の皆さん、お疲れ様でした。

併し、売国奴植村隆の言い訳を、その表情を直に観ながら聴いてみたかったなぁ。


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国家存立の根幹は国防にあり

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今、衆議院で審議されてるらしい安保法案が「違憲」だの「合憲」だのと喧しい。

抑々、憲法があって国があるのではない。
国家なき処に憲法は存在しない道理である。

違うか!

されば、憲法が国防上国家存立の大任を全う出来ないならば、これを変えるのが当たり前だ。
ところが、国賊・売国奴どもの妨害で改憲が容易でないのが現状である。
だからと言って、今日の国防の危機的状況を放置することは亡国への途に他ならない。
立憲制だの法治国家だのと言ってみたところで、日本という国があっての話だわな。
国が滅んで、憲法が残るのか?

抑々憲法とは、國體を明文化したものである。而して憲法の使命とは、國體国家を護持することである。
ところがどうだ、現行憲法は皇國國體とはかけ離れた物であるし、国家を護る事を放棄する代物である。
これでは憲法とは言えまい。

憲法モドキ・似非憲法だ!

将に亡国の代物、この様な物に捉われる必要はない。
国防の危機ということは、即ち国民生命の危機である。
護憲を叫び、新安保法案の違憲を唱える者どもは、日本国民の生命・財産を危険に晒して之を喜ぶ国賊・売国奴という他ない。

観よ!我が国を取り巻く内外の現実を。

外に在っては、赤支の暴戻・南鮮の反日・北鮮のテロ等々敵性国家に取り巻かれ、内に於いては朝野にこれ等敵性国家群の傀儡たる反日売国奴勢力が跳梁跋扈を恣にして国民をかどわかし、日本は今や国家存亡の岐路に立たされている。

内外誠に重大危急の折柄、憲法モドキ・似非憲法如きに拘泥することなく賊輩どもの戯言を無視して国家存立の根幹たる国防を大磐石の安きに置かねばならぬ。

之国民の生命財産を預かる政府の一大責務ならざるか。

安倍内閣は、これら戦後歴代内閣が放置してきた責務の一端を果たそうとしてるに過ぎぬ。
併し、まだまだ不十分である。

反日左翼が言う程に、この程度の法案で後顧の憂いなく戦争ができるものか!
これが戦争法案だと言うならば、赤支・南鮮・北鮮の実態はどうなんだぁ。

憲法を守って国を亡ぼす勿れ!


徒然なるなるままに。



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中核派よ 落胆させるな!

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先週末の事、とある情報を入手した。
中核派が、民衆に直接行動を呼びかけるアジビラを全国に配布していると言う。

ワクワクしながら、拙いパソコン技術をフル稼働させて難渋しながらやっとのことで調べてみると
「戦争に向かう世界を変えられるのは、民衆の直接行動だけ。 6・15国会包囲デモに結集せよ!」
という事らしい。

「直接行動」と言えば、我々行動右翼は「天誅・斬奸」というテロを想起してしまうんだなぁ。
だから、「直接行動」などと言う言葉は軽々しく使うのんじやぁないよね。

まぁ 奴等の間では光輝ある記念日的存在となっている6月15日に第一次安保騒乱時の国会10万人デモ・国会突入の栄光を再現したかったんだろうねぇ。
当時の写真まで掲載してたもの。
然も、現役の中核派全学連委員長・斎藤郁真とやら学生が中核派の旗をバックにした写真入りで「2・3年で革命を成就してみせる云々・・・・・と意気込んでたわ。
併しそれは、荒唐無稽の夢想でしかないわな。
それでも意気込みからして、絶えて久しい騒乱事態を久々に惹起してくれるのだろうか?と
逆の立場で吾輩も期待してたんだけどねぇ。

ところがイザ蓋をあけてみるとサバ読み当たり前の奴等の発表でも2万5千人という、警察発表に至っては5千人だというから唖然とするほかないではないか。
サヨクは戦時中の大本営発表をよく批判の的にするが、それよりも酷いわい。

10万人でも革命は成らなかったんだ。世相も革命には断然不利な状況下の今日2万5千人(実態5千人)じゃぁ2・3年裡の革命など天地がひっくり返っても無理だろう。併しその意気やよし!敵ながら天晴れ!と褒めてあげたい。(笑)

えっ、右翼如きに褒められたって嬉しくない。迷惑なだけ。だってか。それは失礼。

併し、二十歳そこそこのガキが5千人を動員し得る器量にはマジで敬服するよ。
その器量と心意気を「革命」ではなく「維新」の方向に注いでくれれば尚いいんだけどねぇ。

「破壊なくして建設なし」と言うから、本来なら左右手を組んで現状を打破するのが合理的なんだろうけど、打ち立てんとする理想が全然違うのだから所詮無理たわな。そこで吾輩がどうしても理解出来んのは、中核派全学連を始め反日サヨクの打ち立てんとする理想は何なんだ!と言う事だわ。

昭和の全学連運動は、「共産主義こそ地上の楽園」という確固たる信念の下に米帝の日本支配を打破して日本列島に「地上の楽園を建設する」という理想建設の革命運動だったのでせう。
そして多くの純粋なる若人が時に命を懸け、将又獄窓に呻吟しつつ理想達成の人柱となって来たわけだ。
ところがサヨクには不幸なことだが、共産主義は地上の楽園どころかこの世の地獄ということが暴露されてしまって本家のソ連が崩壊してしまった。まぁ分家の支那と北鮮は辛うじて残っているけど、共産主義国家の看板を掲げているとはいへ、その実態はレーニンやマルクスが喧伝した共産主義の理想とは全然かけはなれたものではないのかね。
信じた理想が理想ではなかったことが判った以上は、過去に拘泥することなく新たな理想を追い求めていくのが、真の革命家の途ではないのかねぇ。

併し今のサヨクは建設の理想無きままに、破壊の為の破壊に血道を挙げているようにしか吾輩には観えぬ。
老眼も進んで吾輩の目が悪くなったせいかも知れんがねぇ。

最近、重信房子の自伝を読む機会があったんだけど、そこにはいたるところに「愛国心」が溢れてたなぁ。共感出来るところも多々あった。
目指すべき方向は違えども、祖国を愛し国民同胞を慈しむ気持ちは奴等にもあったんだなぁ。としみじみ感じたものだ。将に革命戦士の鑑だなぁと感心もした。

吾輩はファンになってしまったよ。
えっ、時代錯誤のボケ右翼にファンになられりゃぁ迷惑だ。ってかぁ。

中核派のガキども!貴様らも彼ら革命戦士の末裔なんだろうがぁ。戦士と言うことは兵士だろ。兵士の使命は何ぞや。敵から国民大衆を守ることと違うのか。その為に革命を戦い取ろうとしてるのだろうが。

ところがどうだ。守るべき対象の国民大衆を動員して、日頃権力の暴力装置と批難する機動隊の前面に対峙させて、何が革命ぞ!
民衆の直接行動に期待せねばならぬ革命など未来永劫成るものか。

直接行動とは、革命戦士自らがやるものぞ!

寝言は寝てぬかせ。
右翼も落ちぶれたが、左翼は更に落ちぶれたのう。
落胆のあまり、毒舌が過ぎましたかのう。
老兵の戯言とお聴き流しください。
ではご免蒙ります。

追記  韓国の「民主労総」などと言う外国勢力を革命戦線に呼び込むということは、革命成就後の主導権を乗っ取られる。或いはくれてやる。と言うことだ。
それとも中核派は既に反日的在日勢力に乗っ取られてしまっておるのか?

抑々革命の本旨は「救世済民」だろう。
日本を売るのが目的ならば、革命ではなくて単なる売国行為だな。
外患誘致罪だ。法で裁いても死刑なんだから、司法の手を煩わせることなく、日本国民の固有の権利たる祖国防衛権を発動して天誅を降しても問題ないわなぁ。

本文でも言った様に、「直接行動」とは本来非合法行為に当たるわけだから、左翼の直接行動に対し右翼が直接行動で応じたからと言って、右翼だけが裁かれ、或いは批難されねばならぬ謂れはあるまい。

まぁ我等行動右翼が出るまでもあるまい。官憲機動隊に潰されて終わりよ。

平成の「反共抜刀隊」計画が浮上するほどに頑張って欲しいものだねえ。嗚呼 楽しい妄想が広がるわ(笑)


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反露デー

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今年は無念屈辱の敗戦より70年を迎える。
例年の如く8月9日と言へば長崎の原爆ばかりが強調され、日ソ中立条約を無視して突如参戦したロシア当時のソ連の暴虐は、余り顧みられることはない。
停戦後も矛を納めず武装解除し我が軍が無力になったことをこれ幸いと、武力を背景に我が軍人軍属民間
人を恫喝して、暴虐の限りを恣にし.そのことによって助かるばずの尊い日本人の命が失われたことか!
しかし、戦後マスコミはその事を殆どと言っていいほど国民に知らせようとしない。
ソ連の暴虐に依る悲劇は、何故起きたか?
日本軍の武装解除こそが最大の原因である。

ワレ上京セントス

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明日から盆休みだ!
今年は今更言うまでもなく、敗戦七十年の節目の年と言う事で安保法案の改正と相まって、国賊勢力の勢いが例年になくよいようだ。
安倍談話の内容如何に依っては、靖国神社周辺が国賊共の為に騒がしくなるであろう!
同憂同志の想いは同じであろう。
杞憂であればそれにこした事はないのだが、そうでないから困るところだ。
官憲は亡国憲法に拘束されて、国賊共を有効に取り締まる事が出来ない現状にある。
だからといって靖国神社周辺での国賊共の跳梁跋扈を恣にさせておく訳にもいくまい。
そこで我等右翼の出番と言う訳だ。
靖国神社の聖域を護る。
これこそが靖国防衛の本旨だ。
聖域を汚されてなるものか!
どれ程のとこが出来るか分からんが、今年は久々に靖国防衛に参加の為上京する。
関東周辺の同憂同志の諸君、久しぶりに靖国神社であいませう。

8・15上京報告

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七十年目の屈辱の敗戦忌もどうにか大した混乱もなく無事過ぎた。
上京したその晩、酒の勢いもあって9月より関東に復帰する事が一瞬にして決定した。
姫路に帰省してより、その準備にてんやわんやである。仕事は晩の🕖まで残業続きで片づけが追いつかない。そこで取り敢えず仕事と生活用具一式、更に運動用具一式を持って31日姫路を発つ。
姫路での生活は残り1週間程になった。

14日の靖国神社に到着後、久保田・阿佐美両兄と予定通り合流し民主党本部やテント村・外務省に首相官邸等々永田町界隈を街宣車で徘徊したが、二十歳代にタイムスリップした様な気分になった。
然しあれは昭和の運動スタイルだねぇ。
都内だから辛うじて通用するんだろうけど、地方じゃぁ今では即逮捕の事案だろうねぇ。
警視庁の三課を後ろに引き連れていたのも幸いしたんだろうけど。
流石、警視庁の機動隊は対応が丁寧だし紳士的だわな。兵庫県警の芋警察とは大違いよ。
同じ犬でも矢張り雑種は雑種よなぁ。
弱い官犬程保身の為に権力を傘によく吠えるが、帝都の警備と治安を預かる警視庁ともなると違うなぁとつくづく感じたわ。
地方の芋警察と違い、立場は違うけれども愛国心の匂いが薄らと匂ってくる様な気がした。
矢張り帝都を警備してるという誇りの表れなんだろうねぇ。

15日は靖国神社の大鳥居の前で、平岡道場の面々と終日行動を共にした。
合間、靖国忠霊祭の昇殿参拝にも参列した。
反天連のデモ隊が近づくや若手の面々は、九段下まで駆けて行ったが吾輩は公安が張りついているので若手の奮闘を見守っていただけだわ。

1930頃まで待機して片付け出した頃、中鳥居方面に反日朝鮮人出没との緊急報に接し、残留同志と共に駆けつけたがタクシーで逃げた後だった。官憲が、先に見つけて逃がしたらしい。
最後の最後に忌々しい思いをしたが、油断大敵とはこのことだなぁ。来年の良き教訓よ。
七十年の節目と言うから、もっと荒れるかと思ったが大事に至らず目出度し目出度しと言うところだなぁ。
参拝者の態度も大分変わったなぁ。何かと言うと、昔は鳥居や門前で一礼するのは、右翼かその関係者若しくは戦友会及び遺族会の面々が大半だったけど、どこからどう見ても一般国民という人々までが老いも若きもごく自然に当たり前の様に一礼してる姿に感動し、目頭が熱くなったよ。
この一事だけでも、日本精神が少しずつ覚醒しつつあることを確信した。
やっぱり我等は日本人なんだ。英霊の魂が我等現在の国民に宿りつつある。
神州の正気が甦る日も近いぞー。
そんな事を感じた久々の上京靖国神社参拝でした。

15年ぶりの全愛会議関東協議会の街宣に参加す

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日教組の持ち家たる日本教育会館に於いて、お馴染みの定期大会に名を借りた反日亡国集会を開催してをる事に対して抗議街宣を展開した。
約15年ぶりの全愛会議関東協議会の街宣への参加となった。

前日、日民同2代目会長小山内の親父住まう厚木に入り、一献傾けながら青春時代を共に活動した古参同志も交えて昔話に花が咲き、深夜まで痛飲したが、当日は士気極めて軒昂、日民同義清塾の街宣車のハンドルを自ら握っての出撃と相成った。

マイクロバスのハンドルを握るのなんか25年ぶり位になる。

懐かしさで感無量!

軍歌の響きも勇ましく、進路は一路集合地点である靖国神社へ。
靖国神社では、学生時代からの同志であり今は共に日民同の顧問の立場にある三澤大兄も合流して小山内最高顧問以下義清塾の街宣車内は同窓会のごとき感を呈し、19・二十歳の将来有望の若人も交えて大いに士気は高揚した。

ところがその後がいけない!

靖国神社の目と鼻の先の賊塁を素通りして、隊列は池袋方面へと向かって行くではないか。運転手を叱咤激励して反転させようとするが、一向に言うことを聴かぬ。運転を代わろうとするが、ハンドルを離さぬ。

先導の官憲車輌は、徒歩街宣でもあるまいに亀の如くノロノロと、読んで字の如く無敵の荒野を延々と練り歩く何とも意味不明の街宣であった事よ。
まあそれでも、マイクをにぎって大いに咆哮したが空しい街宣だったわ。

今や全愛関東協議会はもちろん日民同に在っても執行部をのいた身だからわがままも言へまいて。
まあまあ、まだ緒戦だわ。これから腰を据えてじっくりと、取り組んで行こう。
弁当もまだ1年4か月残っている事だし・・・・。
と自身を納得させた一日でした。

それにしても機動隊と出くわさぬ抗議街宣というのも永い右翼人生の中でも始めてだわ。

執行部には執行部なりの考えも事情も在るのだから、組織の一員としての比重が重くなった今、昔の様に勝手気儘もできまいて。

考えさせられる事の多い復帰第一弾でした。





 
同志の皆さん、お疲れ様でした。


週末運動報告

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週末は、連日の運動となった。

先ず土曜日は、夜勤明け久保田兄の街宣車に便乗して都内入り、鳩山邸に抗議街宣を仕掛けた。
なぜかっ?て。この売国奴性懲りもなく今度は、来る11月に韓国のソウル大学で講演をするというネットニュースに接したからだ。

次いで韓大・中大・露大と廻り、民主党本部に至る。常なら街宣車規制してるのだが、機動隊はいるのだが無規制で拡大規制は12時からだからまだ入れますよと言う。意味がわからぬまま民主党本部に横着けして、暫く抗議した後そのまま直進して国会議事堂方面へと街宣車を走らせた。

議事堂周辺は通常にない物々しい警備ぶりだわ。何事か?と思いきや、反安保売国奴共に依る国会包囲の集会デモ規制だったのよ。
なるほど日頃の街宣車侵入規制区域と雖も、国賊左翼を入れておいて右翼だけ入れない訳にもいくまい道理よのうと合点したのである。

時間が早いせいもあって国会正門前辺りに辺野古の連中らしいのが50人程と別のところに団扇太鼓を叩きながら経文を唱える反日坊主共20人程が居るばかりであった。
それよりもビックリしたに、歩道の街路樹の1本1本に拡声器を縛り付けてあることよ。10本位はあったろうか。
我々右翼が同じ事をやって、果たして官憲共がそれを許すであろうか?

一個四十ワットとして四百ワットはあるんだからなあ。怒り心頭に発して街宣車の音量を最大に上げてやったら案の定機動隊の金線が音量を下げろと談じ込んできた。馬鹿言ってるんじゃぁない。こちらは最大でも150ワットしか無い!
右翼の150ワットは左翼の400ワットに相当するとでも言うのか。

心情左翼の官憲が権力を揮うとろくな事がない。
国賊を利して国益を.損なうことこれより著しき事無しである。

国賊左翼共の400ワットを撤去させてから言って来い!ということで機動隊の道理に合わぬ指示を無視して抗議行動を続行、頃合いを見計らって引き上げ靖国神社に参拝、茶店で休憩の後本日の主目的である拉致署名活動の場である渋谷へと向かった。

でもこれは久保田の本日の主目的で、吾輩は署名活動とビラ配りが大の苦手である。
最後に署名活動に参加したのはかれこれ10年も前のことであろうか。
桜応援団の面々を紹介され、その場を撤収する機を逃し結局10年ぶりに街頭署名活動に参加する羽目になってしまった。
10年ぶりに集めた署名は16人だったわ。

然し、わざわざ人混みを掻き分けて来て署名して呉れる方々一人一人の手許をジッと眺めていると感涙に目が潤むのを禁じ得なかったねえ。
また、二十歳代の若者たちがこの拉致事件というものをあまり知らないというとこも実感した。
説明してやると、北朝鮮て恐ろしい国なんですねえ。僕も気を付けます。頑張って下さい。などと言って署名してくれた若者も居たなあ。
多くを学んだ一日でした。

特に、久保田の抗議行動に於ける現場での駆け引きと手際の良さには感心させられたわ。
彼も今の運動スタイルをかれこれ3年以上に亘って貫き通して来た訳だ。

石の上にも3年と言うが、すっかり板に付いてるわ。パクられても構わぬと言う開き直りの過激な抗議行動は誰にだって出来るんだなあ。吾輩がその典型みたいなものだけど(笑)
ところかが久保田のは、そうじゃぁないんだな。最小のリスクで最大の効果と言う事を念頭に置いて動いている。あれは昭和の運動スタイルなんだけど、良い悪いは別として格段に規制が厳しくなったこの平成の世にあのスタイルを貫ける右翼がどれ程いるだろう。

吾輩だってブランクがあり過ぎて無理でしょうねぇ。然し、これからの若い世代に教えて行かなければならぬ運動スタイルである事には間違いない。

いやぁ❗ここまで書くのに四時間半もかかってるわ!続きは、また後日ということでお休みなさい。
  

続・運動報告!

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翌日曜日には、四時間程の仮眠の後0800に出動、日民同義清塾の街宣車を稼動して厚木のハトポッポ公園で行われた反日賊徒の反安保集会デモに対する抗議糾弾行動を展開した。

事前情報では150人程度の規模と聴いていたが、最終的には250人程に膨れ上がっていた。
公園と言ってもビルの谷間に在る柵も何もない一寸大きな憩いの広場みたいなもので、大通りより奥まったところにある。

おまわりは居るが、機動隊の配備はない。
いきなり公園に横着けして抗議街宣を始めたが、マイクロバス型街宣車なもんだから一般車輌が通れないから止まらないでくれ!との官憲の要望に従って公園周辺から大通りに出たり入ったりしながら周回したのち、賊徒共がデモに出発したのでこれを追尾して抗議を続行、途中拡声器内蔵のベンツで阿佐美一派が合流し、賊徒のデモ先導車である神奈川土建の街宣車を追いかけ回すなどして多少のすったもんだはあったものの逮捕者も無く無事終了となった次第である。

対象物を素通りして無敵の荒野を練り歩き空虚感にさいなまれた先週の日教組抗議街宣より、余程充実した街宣であったことよ。

街宣に必要なのは、若人の高揚感である。また時には無力感である。これの反復が若人をして直接行動へと駆り立てるのである。
而して若人の憂国義憤の直接行動こそが維新回天の原動力となる。明治維新然り、昭和維新また然りだ!
与えられた原稿を棒読みして敵の居ない巷を100万辺練り歩いてみたところで維新回天の偉業は成らぬ道理である。

今週の新安保法案を巡る賊徒共の実態が、それを如実に物語っているではないか!
国会を十万人で取り囲んでもダメだったじゃぁないか!
「一発の銃声は十万の動員に勝る!」と言う右翼なら誰でも知っている有名な格言がある。街宣車にこの格言を入れている団体も多い。然し大概が一発も放った事の無いところばかりじゃぁないのかねぇ。
そういう吾輩も放ち損ねたから偉そうなことは言えんがねぇ。(苦笑)

新安保法案を巡っては、憲法学者や知識人が挙って憲法違反とがなったが、その憲法違反の法案が成立してしまったじゃぁないか!これを奴等はどう裁くんだろうねぇ。見ものだねぇ。
成立してしまったらもうお仕舞いか?それは国民に対して余りに無責任であろう。

なんせ賊徒共からすれば「戦争法案」などという国民を死地に追い立てる恐ろしい法案なんだから、それを阻止するに当たってはもっと命懸けにならねばならぬはずだ。
処がどうだ!国会中継にしろ、国会取り巻きデモにしろ、一命を賭してという奴は一人も居なかったじゃぁないか!
単なるお祭り騒ぎでしか無いのよのう。
しかも憲法を護れと言いながら、テメエ等は無届けデモと言う違法行為を平然と行って居るのだから開いた口が塞がらんわ!

売国議員共は、牛歩戦術だとよ。ただ遅らせるだけか?抑も法案成立阻止が所期の目的であったはずの闘いがいつの間にか法案成立遅延に変貌してしまった。国民をバカにするのも大概にしろ!と言いたいわい。
遅らせると言う事は、成立を前提条件にしてる訳だから、こやつ等は、本気で阻止する気など初めから無かった訳だ。

支持率低下を覚悟の上で、朝野挙っての大パッシングをものともせず粛々と法案成立を期した安部首相と、どちらが本当に国を思い国民の事を考えているかと言う事が明らかになった訳だ。

併し新安保法案成立は、終わりではなくして最初の第一歩に過ぎぬと言う事だ!

最終的には自主国防体制の確立と安保破棄だ!

小さい乍らも戦後体制打破の一穴が穿たれたのだ。
然も我等右翼陣営が戦後幕府と揶揄し、打倒を目指した自民党政権によって・・・・・。皮肉よのう。

右翼の体たらく此処にありだなぁ。まあ、今は公武合体で我慢しなけりゃぁならん時期なんでしょうなぁ。この流れを倒幕維新・國體の真姿顕現へと繋げて行くのが、我等右翼の聖使命たる事をしっかりと肝に銘じなければならぬ。
現状に停滞安住する事勿れ!

日付が変わってしまったが、今日土曜日は又もや寝ずの出動となり、午前中立川の自衛隊駐屯地に対する国賊反天連の妨害デモにカウンター街宣をかけたが、前回は600人も集まったと言うから気合い入れて行ったが、正味10人程がおまわりに囲まれてショボショボと歩いているだけ、然も駅の南口から北口で解散と言うから拍子抜けだったわ。

午後からは、新宿アルタ前で行われている不条理の会定例演説会に参加させて頂き、マイクを握らせて貰って15年ぶりに新宿で咆哮して来た。
その後、二十歳代を共に戦った面々も交えて、これも二十歳代からお世話になり可愛がって頂いている阿形会長に食事をごちそうになって青春時代にタイムスリップしたような愉快な一日でした。

明日というか日曜日は、急遽仕事がシルバーウィーク全休になったので姫路に帰省してきます。

予告街宣

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シルバーウィークの休暇も無事終わった。
休暇中は、昼間は百姓仕事に明け暮れ夜は入れ替わり立ち替わり訪ねて呉れる近辺の同志と毎日一献傾け乍らの憂国談議に花がら咲いた。明日関東に戻る。

さて、連休明けではあるが早速来る26日土曜日神奈川県内に於いて抗議街宣を展開しようと思う。
標的は、河野洋平である。言うまでもなく親子三代に亘る国賊であり、洋平はその二代目だ。
所謂「従軍慰安婦」を巡る反日嫌韓感情を煽り立てた張本人である事は周知の如しである。
斯の悪名高き「河野談話」が我が国に与えた悪影響は、今更言うまでもあるまい。
20年以上過ぎた今日尚我が国の歴史観を縛り続けてをる。
本人は既に政界を引退しているとは言え、その罪は万死に値する大罪と言っても過言ではない。生きてある限り糾弾されねばなるまい。
幸い日民同義清塾の街宣車は県内の街宣許可を切らさず習得しているので、安保問題も一段落したところで帝都から神奈川県内に矛を転じて若手育成の訓練街宣として、許可書が切れる前に有効活用しようと言う訳である。
10月からは都内への進出も計画中であるので、その予行演習も兼ねている。

興味のある同志諸兄は、右翼・市民団体を問わず小田原に集結されたい。街宣車がなければ体だけでも宜しい。
連絡先は、過去記事に添付の通りである。

街宣当日は野営して都内に侵入し翌日の全愛関東協の訓練練度を覗きに行く予定である。
併し、吾輩も首都圏での運動には20年近いブランクがあるので、過度の期待はしない様に!

大凡街宣には大別して二つのスタイルがある。
「抗議」と「啓蒙」である事は言うまでもない。
また、首都圏と地方とでは自ずからからにして運動スタイルに違いがある。首都圏は抗議を主体とし、地方は啓蒙を主体と為す。
何故となれば、首都圏は抗議対象が腐る程あるのに対し、地方はどうしても対象が少ないからだ。
日常茶飯に跳梁跋扈を恣にする賊徒共や抗議斬奸の対象物を放置しては、啓蒙の効果も挙がらぬ道理である。
考えてもみよ!啓蒙宣伝力の左右の違いを。
右翼の啓蒙宣伝力など濁流に垂らす一滴の清水程でしかないのが現実ではないか。
されば当然の事ながら国賊左翼の戦力を漸減する事が先決である。
これこそが右翼街宣の本旨と言っても過言ではない。

ところがどうだ!昨今の右翼運動は、「庶民に理解される運動」云々を標榜して「斬奸」と言う右翼本来の本分を忘れつつある。
抑も抗議行動とは、憂国義憤の発露である。
その延長線上に、天誅斬奸と言う直接行動がある。
言論で維新は成らぬのである。

直接行動は右翼の究極の運動形態であるが、その念が日常の運動として現れたものが乃ち抗議街宣或いは抗議行動なのである。
故に抗議街宣を軽視するものは最早右翼とは言い難い。

平成の御代も既に27年。今も抗議行動と銘打った運動は、行われているにはいるが之は名ばかりのもので、実が伴っていないのが現状である。
平成元年生まれがもう二十歳後半だ。左右を問わず抗議だ糾弾だと力んでは居るが、端から観てれば全然抗議にも糾弾にもなって居ないのが実際のところである。

若人諸君!これから徐々に本当の運動を教えて上げるから、我レこそはと思わん者は我が下へ結集せよ。

日本の将来、國體の安否は諸君等若人の双肩に懸かっている事を銘記せよ!

売国奴鳩山由紀夫糾弾!

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去る10月4日(日)  売国奴鳩山由紀夫が、明治大学グローバルフロントにて性懲りもなく日中友愛外交云々などとほざいて、売国講演を行った。

この一件は、事前に皇民愛国塾の情報提供によるもので、衆議一決 断固糾弾!と共闘する事になった次第である。

我が日民同は中野会長直卒の下、総本部及び義清塾の2車輌を動員し出動。

吾輩は、小比類巻幹事長の指揮下に入り義清塾の街宣車を運転して参加した。

前日深夜より出動し、隊員3名と共に会場前にて野営明朝8時の街宣許可時間と同時に糾弾演説を始めたのである。
9時頃に公安共が集まりだし、次いで所轄トラックで規制用具を運んで来て規制準備にと取りかかる。
だが、街宣車は規制内に居るのである。
何の為の規制か?意味が解らん??????

その頃には既に本部車輌及び天照志塾の街宣車も合流して、機動隊の規制配備を余所目に支那人共が忌み嫌う関東軍軍歌と北支派遣軍軍歌をバックミュージックに代わる代わる糾弾演説を繰り返し、大いに気勢を挙げてをったが、抑も講演会の開始は午後からの事ゆえに、機動隊もノンビリしたもんで何も言ってこない。

本来、靖国神社10時集合の予定であったので0940頃一担現場を離脱した。
その後、靖国神社に於て皇民愛国塾関係7台と合流して、国民儀礼・参拝の後朝鮮総連に対して抗議行動を展開、乗車出発と相成り第二派攻撃は1400頃とちょっと遅れた。
そんな訳で所期の目的たる鳩山の入場阻止は残念乍ら果たせなかった。

当然の事ながら機動隊の阻止線が会場への侵入口を総て塞いでいる訳だから、攻防はこの阻止線になる。軍歌が鳴り響く中、憂国義憤の雄叫びは賊徒の会場周辺にこだまし、喧噪甚だしきは之に勝るもの無しと言う状況を呈した。

そこへ未だ共闘の機会は無いが歴戦の急進過激の誉れ高き老舗団体迄が参戦したのだからその状況推して知るべし!

途中離脱して日中友好会館へ矛を転じ奇襲したが、こちらは完全ノーガードだ。
その後、会場と目と鼻の先の御茶ノ水駅前で駅頭演説をやってをると、未だ賊徒の会場周辺に待機し、或いは抗議糾弾を反復していた残留団体の動きが俄かに活発化したので「若しや鳩山が出てきたのか?」と直ちに演説を打ち切り現場に急行して急追するも無念や遂に捕獲するに至らず。

それでも皆々気落ちする事無く「賊・殲滅」の一念を胸に秘め乍ら、互いの奮闘を讃え又互いの武運長久を祈りつつ右へ左へと各々帰路についたのである。戦い済んで日が暮れて・・・・。

この一日は、機動隊も良くここまでやらせて呉れたと思うよ!
まぁ当然と言えば当然なんだけどねぇ。
何故か?って。
我々の街宣は常に街宣許可証に基づいた合法的な政治活動だもの。
反安保を叫んで国会を取り巻いた反日左翼のような無届けの非合法デモや集会ではないからよ!

抑も国会周辺は、静穏保持法の規制区域になってるから、どう転んでも合法的に集会デモは出来ない訳よ。だから、左翼の非合法を黙認した官憲が右翼の合法活動だけを取り締まれる訳がない道理である。

だが併し、地方だとこうはいくまい。
流石は警視庁だけある。皇軍絶えて無く近衛師団又無き今日、王城鎮護・帝都防衛の大任を担い得る者は、一に懸かって警視庁機動隊を措いて他に存在しないのである。

地方の芋警察と違いそうゆう自覚が潜在的に培われて居るんだろうねぇ。

故に地方警察にない愛国心・国家意識というものが醸成されるのかねぇ。

国思う心に二つはなかりけれ・・・・だなぁ。

併し、国家公安委員長に親子三代の売国奴河野太郎が就いたから、その愛国心や国家意識もどう変貌するか分からんがなっ。
そう言う意味では、官憲など所詮幕府の犬でしかないもの。

河野太郎の起用が安倍内閣の命取りにならねば良いがなぁ。
こ奴は、安倍首相の推進する戦後レジウムからの脱却とやらの足を間違いなく引っ張る輩よ。

昼も回った!今夜も夜勤だ。寝るわ!
同憂同志の皆さん おやすみなさい。

緊急朗報❗荒巻大兄出獄

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本日10月22日0900、「チーム関西」の四天王の一人 荒巻靖彦大兄 滋賀刑務所を出獄す❗

反日不逞韓国人女優キム・テヒのコマーシャル起用に抗議した「ロート製薬事件」で1年6月の刑を受け、当時弁当付であった「京都朝鮮学校公園占用実力撤去事件」の1年6月を合せて3年の懲役を務め本日此処に目出たく出獄した。
先づはお疲れ様でした❗

言ふまでもなく荒巻大兄は右翼ではない、行動保守である。
然し、その愛国的情熱 定評ある行動力は右翼顔負け、爽やかな弁舌と人懐っこさは人を魅了して止まぬものがある。
その彼が3年振りに娑婆に戻って来たのである。
此度の出獄は、即戦列復帰とはいかぬ。何故かっ❗て。
仮釈90日(3ヶ月)が付いているからに他ならない。初犯3年の刑で普通なら仮釈は最低でも180日である。再犯ならいざ知らず、90日なんぞ満期と同じだ。反省文拒否の上での仮釈だから官の思惑が目に見ゑるではないか。

凡そ満期釈放となればどれ程の人数が出迎えに来るか分らぬ。然も右翼やヤクザと違って背景を持たぬ一般市民だから規制も出来ない。
更に行動保守の集る処、似非右翼モドキの阿呆共がカウンターを仕掛けて来るのが常態化している。
混乱を避けたい刑務所側の皮肉の策が此度の仮釈の真相でせうなぁ。

ともあれ、荒巻大兄!年内は獄の垢を落としてゆっくりと休養し鋭気を養って、来年からまた一諸に御国の為に御奉公して行きませう。

来年は西村斉大兄の出獄年でもあります。揃って迎えに行きたいですなぁ。
西村斉大兄は是非満期出獄であってほしいものですな。何となれば行動保守を大動員して刑務所を包囲出来るのだもの。(笑)
そんなことを言うと西村大兄の家族に恨まれてしまうなぁ。(苦笑)

「チーム関西」の復活の日近し❗

西と東に遠く離れてしまいましたが・・・・。

吾輩もまだ1年半程弁当が残ってますので、今は助走の段階です。

今朝は電話で昔と変らぬ元気な声を聴いて安心しました。

「ロート製薬事件」ありたればこそ不逞韓人女優キム・テヒのCM降板が実現したのであり、行動保守の輝ける戦果である。
荒巻西村両大兄こそ行動保守の亀鑑!その右に出づる者無し。
チーム関西の双壁龍虎である。その一方の雄が復帰したのである。
龍虎揃ひ踏みの時期も近い。これからが楽しみだ。
行動保守の益々の奮闘を祈りつつ擱筆す。








桂田智司 連絡先
       携帯電話 07050407328
       メール   harimaokai@dj.pdx.ne.jp



10・28反韓デーに思ふこと

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去る10月28日は右翼並びに保守陣営にとっては反露デー・反中共デー同様、反日国家韓国に対する全国一斉行動日である。
今年は前倒しで10月25日(日)に全国津々浦々で大小様々な運動が展開された。

吾輩は全愛会議関東協議会の「竹島奪還・韓国糾弾デモ」に参加したがデモの出発間際に「一般人が妨害に来ても絶対に反撃しないように❗」と釘を指された。
我れ答ヘて日く「一般人が妨害に来ませんよ。妨害に来る輩は一般人ではありますまい❗」と。
周辺「その通り❗」と大爆笑になった。
然して皆々「妨害」を心の底で期待しつつデモは渋谷宮下公園を出発し、一路代々木公園へと日章旗を靡かせて四列縦隊で歩武堂々と行軍を続けたが一向に「妨害」が入らない。段々士気は衰え道中が何とも長く感じられたことよ。

翻って保守系市民団体の「日韓断交デモ」では噂の如くシバキ隊とや
らいう不逞の徒輩が大勢妨害に来てをるのを後日ネットの動画で 視聴した。その熱気に圧倒されたことよ。
老若男女の愛国市民が日の丸・軍艦旗(旭日旗)を打ち振ってのデモに執拗に挑発妨害を繰り返す様は、反日不逞朝鮮人の日本人に対する暴戻暴挙と道行く一般庶民には映った事でせう。
戦前・戦中派世代なら敗戦直後の朝鮮人の暴動が胸裡に蘇ったに違いありますまい!
当時為す術も無った官憲共も、今じゃぁしっかりと日本国民を護ってたじゃぁないか。当り前の事だけれど感心 感心❗

凡そ何がヘイトじゃぁ。先に韓国の反曰ヘイト有りきであらう❗
畏れ多くも天皇陛下を日王と呼び、申すも畏れ多き事ながら御真影を燃やしたり、日の丸は燃すわ、日本の国鳥たる雉を街頭で捌くわ、日本大使館に生卵を投げるわ、之を反曰ヘイトと言はずして何と言ふ。
目には目を❗歯には歯を❗堪忍袋の緒が切れた日本人庶民の愛国の雄
叫よ❗
庶民感情に規制はかけられまいて。亦庶民感情に理性を求めると言ふのも無理な事よ。

この動画は、日本人の日の丸デモを襲う不逞鮮人という構図だねえ。こんな事を繰り返していると愈々益々日本人の嫌韓感情を煽るだけよ。「日韓断交」「嫌韓」は、今や日本国民大衆の大方の総意と言っても過言ではないだらうか?
しばき隊が取り囲んでいなければ、道行く人々から賛同の声援があちらこちらで挙がったことだろうに❗
実際に我等関東協のデモの方ではチラホラと声援も有ったからねえ。
これが日本人の本音だろうて。

それにしてもカウンターなどと威勢の良いことを言っても、これも動画で比較したが国賊反天連に対する右翼及び保守系市民のカウンターとは雲泥の差だな。
反天連のカウンターでは機動隊は完全装備だ。乃ちそれだけカウンターの威力が強いと言う事だ。ところが日韓断交デモのカウンターでは私服と制服の警官隊だけだ。意味する所はそれで間に合ふ程度と官憲に見切られている訳だなあ。
そらそうさ!中指立てながらデモに併走してるだけ。乃ちカウンターと言うより単なる併走デモに過ぎぬと言う事よ❗

右翼・保守系市民を問わず25日の反韓デー街宣は皆さんお疲れ様でした。日韓断交・竹島奪還の日まで鋭意奮闘してまゐりませう。

奉祝❗明治節

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 11月3日 奉祝❗明治節

文化の日などと云う意味不明な祝日名に変更を余儀なくされてしまったが、敗戦占領下に在って何とか後世に明治節を祝日として残さんとした先人の苦衷の念を偲ぶ。先人達は後世の国民が時到りなば必ずや明治節を復活させて呉れるであらう事を信じて占領軍の強圧の中で辛うじて残した「文化の日」である。
にも拘らず、之が「明治節」乃ち畏れ多くも明治天皇の御宸誕の佳節である事を知る国民は、日毎年毎に少なくなっている。

日清・日露の戦役に於ては大本営を広島に開設して玉座を進め給ひ、三軍を御親率遊ばして世紀の戦捷に導き給ふ。以て大日本帝國をして世界に大盤石の重きを成し給へり。
今日の基礎茲に整ふ❗

明治維新から敗戦までの70年は興起栄光の70年であった。
翻って戦後の70年はどうだ!没落汚辱の70年ではないか。

こんな事では、英霊先烈に相済まぬ。
明治聖帝の大御心に如何に応ゑん。
広大無辺の皇恩に何を以てか報ゐん。

明治節の復活を以て日本精神の復興を期さん❗

天皇陛下萬歳❗❗大日本帝國萬歳❗❗

皇紀2675年 明治節に誓ふ。

 草莽の微臣 桂田智司 齢54

告知❗軍歌大会

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靖国神社にて英霊顕彰の軍歌大会を❗

9月出京以来2ヶ月、週末はず~っと運動が立て込んでいたが今週末はちょっと空きが出来た。
今年も残す処2ヶ月を切ったが、時局尚混沌としてまだまだ忙しくなるであらう。
そこで鋭気を養ふ意味で軍歌大会を行おうと考える!
幸ひ愛国市民運動家の鶴間氏に相談した処、快諾を得てバイオリンの化け物の様な楽器の生演奏で、英霊忠魂の武勲を偲び英霊忠烈の遺志継承を誓って軍歌演習を行ふ。

日時 11月8日(日)13OO時
場所 靖国神社茶店前(殿に向て右
   側)
※雨天中止 

軍歌は英霊の声であり、日本民族の魂の雄叫である❗
軍歌を声高からに演習し、忠勇義烈・忠君愛国の更なる士気を高揚せしめ以て戦後70年の節目の残りを戦ひ拔かうではないか❗

我等は単に軍歌愛好家に非ず。
軍歌は聴くものに非ず咆哮するものなり。
軍歌に込められた大和魂を英霊先烈と共有せん❗

右翼と言はず保守と言はず、男も女も老ひも若きも、志を同じくする者は挙って集まれーっ❗
軍歌を通じて打って一丸、倶に愛国維新の大道に邁進しようぞ❗


当日を大ひに楽しみにしてます。

軍歌演習 雨天なりと雖も断固決行❗

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本日生憎の雨だが決行❗

想へ英霊は雨だらうが雪だらうが悪天難土の戦場に攻撃進軍なされたのである❗

楽器の心配をして雨天中止を告知してをったが、心配無用との頼もしい返事があったので雨天を突いて断固決行する。

今からでも遅くない!
我コソは❗と思はん者は皇国を覆うこの暗雲を今日の雨の靖国の軍歌演習を以て打ち祓おうではないか❗

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