日教組の持ち家たる日本教育会館に於いて、お馴染みの定期大会に名を借りた反日亡国集会を開催してをる事に対して抗議街宣を展開した。
約15年ぶりの全愛会議関東協議会の街宣への参加となった。
前日、日民同2代目会長小山内の親父住まう厚木に入り、一献傾けながら青春時代を共に活動した古参同志も交えて昔話に花が咲き、深夜まで痛飲したが、当日は士気極めて軒昂、日民同義清塾の街宣車のハンドルを自ら握っての出撃と相成った。
マイクロバスのハンドルを握るのなんか25年ぶり位になる。
懐かしさで感無量!
軍歌の響きも勇ましく、進路は一路集合地点である靖国神社へ。
靖国神社では、学生時代からの同志であり今は共に日民同の顧問の立場にある三澤大兄も合流して小山内最高顧問以下義清塾の街宣車内は同窓会のごとき感を呈し、19・二十歳の将来有望の若人も交えて大いに士気は高揚した。
ところがその後がいけない!
靖国神社の目と鼻の先の賊塁を素通りして、隊列は池袋方面へと向かって行くではないか。運転手を叱咤激励して反転させようとするが、一向に言うことを聴かぬ。運転を代わろうとするが、ハンドルを離さぬ。
先導の官憲車輌は、徒歩街宣でもあるまいに亀の如くノロノロと、読んで字の如く無敵の荒野を延々と練り歩く何とも意味不明の街宣であった事よ。
まあそれでも、マイクをにぎって大いに咆哮したが空しい街宣だったわ。
今や全愛関東協議会はもちろん日民同に在っても執行部をのいた身だからわがままも言へまいて。
まあまあ、まだ緒戦だわ。これから腰を据えてじっくりと、取り組んで行こう。
弁当もまだ1年4か月残っている事だし・・・・。
と自身を納得させた一日でした。
それにしても機動隊と出くわさぬ抗議街宣というのも永い右翼人生の中でも始めてだわ。
執行部には執行部なりの考えも事情も在るのだから、組織の一員としての比重が重くなった今、昔の様に勝手気儘もできまいて。
考えさせられる事の多い復帰第一弾でした。
同志の皆さん、お疲れ様でした。